大规模な自然灾害が突きつける、労働法の新たな课题と可能性。働く人の暮らしと権利を守りたい。
労働法は元々「平时」を想定した法律であり、「会社が责任を负うことで労働者を守る」という前提のうえに成り立っています。そのため、近年相次ぐ大规模灾害の场面にそのまま当てはめようとすると、さまざまな问题が生じてしまいます。こうした现状を踏まえ、「灾害时に対応した労働法のあり方」について研究しています。
労働法はどうあるべきかを理论と実务の両面から考える。
私の専门は、现代の社会问题に対応する労働法のあり方についてです。近年、社会は大きく変化しています。大规模な自然灾害が多発し、少子高齢化も想像以上のスピードで进んでいます。それに伴って私たちの働き方も大きく変わりつつあります。こうした状况のなかで、「使用者に労働契约上の责任を负わせることで労働者を守る」という従来の労働法が「このままでよいのか」と问われる场面が増えてきています。
特に大规模自然灾害のような突発的かつ広范な社会课题に対しては、「平时」を前提とした労働法がうまく机能しないケースがあります。使用者自身が被灾し、责任を果たすことが困难になる场合もありますし、灾害による负伤?死亡という点でいえば、労働法による事后的な金銭补偿よりも予防の方が明らかに重要でしょう。また、ハラスメント対応などにも见られるように、法律は大枠を示すだけで、具体的な対応は会社に委ねられることも多く、「何をどこまでやればよいのか分からない」といった戸惑いが现场に生じるケースも少なくありません。そこで私は、こうした课题に対して、理论と実务の両方の视点から「労働法はどうあるべきか」を考えることが、研究には必要だと考えています。
労働法に兴味を持ったのは、社会问题に强い関心があったからです。労働法や社会保障法は、人の生活や働き方に深く関わる、非常に人间くさい分野です。単纯に正解?不正解で割り切れない问题が多く、そこに面白さを感じました。修士课程の修了后、実际に団体职员として働くなかで、现実の社会では法律どおりにいかないこと、法律を厳守しようとすれば现実が追いつかないことも少なくないと感じました。「法律は现场で役に立っていない」という现状を受け、理论と実务をうまく接合したいと考え、研究の道に进みました。
正解のない问题に向き合い、自分の头で考えることが大切。
特に関心を持っているのが「灾害时に労働者の安全をどう守るか」というテーマです。现行の労働法では、会社に従业员の安全?健康を守る义务が课されていますが、多くの场合、「违反があったら损害赔偿请求が可能」という事后的なものです。危険が差し迫った场面では、「被害が出る前にどう守るか」が重要です。そのため労働者が自らの判断で一时的に业务を离れる「退避権」に着目しました。ただし「どのような状况なら业务を拒否できるのか」という线引きは容易ではなく、场合によっては事后に责任を问われるリスクも伴います。この点を法律的にどう整理するかが、主な研究课题です。
东日本大震灾での灾害时における自治体职员の例として、避难所の运営や各种手続きへの対応で长时间労働が常态化するケースが多く见られました(図1)。2020年から2024年にかけて、私の行った全国の自治体?労働组合へのヒアリング调査では人手不足が深刻化しメンタル面に不调を诉えるなど、法令遵守と住民の生活支援の両立は容易ではありません(図2)。今后、自然灾害时の労働者の心身の安全确保システムの构筑と提言、あるいは灾害时に働かなければならない労働者の精神疾患の因果関係の立証方法等を提案していきたいです。
コロナ祸に普及したテレワークも重要な课题の一つです。在宅勤务は灾害时にも有効な手段ですが、すべての业务に适用できるわけでなく、「出社命令を拒否できるのか」「テレワークを求める権利はあるのか」といった问题も十分に整理されていません。こうした新しい働き方と法律の関係にも研究を深めたいと考えています。
私は「谁もが賛成する美しい正论」ほど、一度立ち止まって考える必要があると思っています。ワークライフバランス、子育て支援、ハラスメント防止などは大事な视点ですが、抽象度が高く、人によって受け取り方が异なり、别の课题や负担を生むこともあります。だからこそ「なぜそう言えるのか」を问い、そこから漏れる人々に思いを驰せることが大切です。
これは大学での学びにも通じます。大学で学んだことは社会で役に立たないと言われることがありますが、大切なのは知识そのものよりも「正解のない问题にどう向き合うか」という姿势です。すぐに答えの出ない问いに対して、自分なりに考え、纳得できる结论を导き出す。その経験こそが、社会に出た时の确かな力になります。社会には、明确な正解のない问题が无数にあります。真面目な学生さんほど『正解はない』と言われると戸惑うことがあるかもしれませんが、现実の社会では、正解がないことのほうがずっと多いのです。そのことを肌で感じながら、さまざまな考え方に触れ、自分の头で考える力を育んでほしいと愿っています。